今日は有段者を中心とした研修会があり、道場についたときはもう練習が始まっていました。
先日正式入門した娘も、一般部拳士のHさんの御指導の下、楽しそうに練習していました。
よく、「お嬢さんに拳法を練習させるのは護身のためですか?」と聞いていただくことがあります。物騒な世の中ですし、たしかに少林寺拳法が、もしもの際にに難を逃れる役に立てばいいなあ。とも思います。
しかし週にわずかの修練を通して得られる、少林寺拳法の技術(正しく使えればもちろん威力を発揮するのでしょうが)が、下記の写真のような体格差を凌駕できるかというと、そうは上手くいかないだろうなあ。と思います。では、少林寺拳法は娘を守ってくれないのか?と問われると「そこについては「きっと意味があると信じてます」とお答えすると思います。
たとえば、「嫌な事を嫌ときちんと、大声で叫べる」「相手に対して気迫をもって接する事が出来る」ななにより「暴力の怖さ、強さを知っているから、危険に近づかない」、こんなことだけでも護身という観点においてきっと彼女を助けてくれるようになるのでは?と期待しているからです。そしてこれはおそらく、子供たちだけにとどまらず、体力にそんなに自信がなくなってくる高齢者・女性のみなさんにとっても同じ効果を期待していただいてよいのではないだろうか?と考える次第です。
さらに別の視点から考えてみたいのは、所謂護身技術を磨く意味と意義です。暴力・危険には、当然備えなければいけないのですが、おそらくそれらに一生の内に10回遭遇される方は少ないのではないだろうかと言うことです。そうであるとしたら、その10回のために一生をかけて、護身「技術」だけを磨くのはとても覚悟が居ることではないでしょうか?
これから少林寺拳法を始めてみようという方にお奨めできるとしたら、少林寺拳法を修練する意義が“なんらかの危害から身を守る”という非日常への備えである以上に“日常をよりよく生きる”ということの助けになってくれるかもしれませんよ」という事。そしてそれはとても楽しいですよ。ということでしょうか?(例によってまた私見ですが(笑))
※どうも身内の写真ばかり掲載しておりますが、時節柄、インターネット上に画像が出ることに対して自己判断で許可を頂くことは難しい少年部の拳士の画像は、本人が特定できるような形では掲載しないように心がけております。御了承ください。

先日正式入門した娘も、一般部拳士のHさんの御指導の下、楽しそうに練習していました。
よく、「お嬢さんに拳法を練習させるのは護身のためですか?」と聞いていただくことがあります。物騒な世の中ですし、たしかに少林寺拳法が、もしもの際にに難を逃れる役に立てばいいなあ。とも思います。
しかし週にわずかの修練を通して得られる、少林寺拳法の技術(正しく使えればもちろん威力を発揮するのでしょうが)が、下記の写真のような体格差を凌駕できるかというと、そうは上手くいかないだろうなあ。と思います。では、少林寺拳法は娘を守ってくれないのか?と問われると「そこについては「きっと意味があると信じてます」とお答えすると思います。
たとえば、「嫌な事を嫌ときちんと、大声で叫べる」「相手に対して気迫をもって接する事が出来る」ななにより「暴力の怖さ、強さを知っているから、危険に近づかない」、こんなことだけでも護身という観点においてきっと彼女を助けてくれるようになるのでは?と期待しているからです。そしてこれはおそらく、子供たちだけにとどまらず、体力にそんなに自信がなくなってくる高齢者・女性のみなさんにとっても同じ効果を期待していただいてよいのではないだろうか?と考える次第です。
さらに別の視点から考えてみたいのは、所謂護身技術を磨く意味と意義です。暴力・危険には、当然備えなければいけないのですが、おそらくそれらに一生の内に10回遭遇される方は少ないのではないだろうかと言うことです。そうであるとしたら、その10回のために一生をかけて、護身「技術」だけを磨くのはとても覚悟が居ることではないでしょうか?
これから少林寺拳法を始めてみようという方にお奨めできるとしたら、少林寺拳法を修練する意義が“なんらかの危害から身を守る”という非日常への備えである以上に“日常をよりよく生きる”ということの助けになってくれるかもしれませんよ」という事。そしてそれはとても楽しいですよ。ということでしょうか?(例によってまた私見ですが(笑))
※どうも身内の写真ばかり掲載しておりますが、時節柄、インターネット上に画像が出ることに対して自己判断で許可を頂くことは難しい少年部の拳士の画像は、本人が特定できるような形では掲載しないように心がけております。御了承ください。
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